最新DNA研究と縄文人   斎藤成也

最近、遺伝子の研究が進み日本人のルーツに関する新事実が明らかになりつつあります。今回はNHK番組への出演や書籍の出版、公開シンポジウムなどでご活躍の国立遺伝研究所の斎藤成也教授にお話をうかがいました。

▼先生の遺伝子の研究から日本人のルーツに関する新事実が明らかになったとお聞きしましたが、それはどのようなものですか?

これまで日本人は大陸からわたってきたと考えられていたため、遺伝子が東アジアの人たちと近いと考えられていました。ところが調べてみると、東アジアの人たちは遺伝子が似ているのに、日本人はそれとは違うことがわかりました。そこで、その違いをもたらす原因を縄文人の影響だと仮定し、縄文人のDNAを分析したところ、やはりその原因が縄文人にあったことが分かったのです。さらに日本人の中でも、沖縄の人たち、アイヌの人たちはさらに違いが大きいことも分かっています。

 

▼それでは、その縄文人は、どこからやってきたのでしょうか?

人類はアフリカを出て、約4万年前に東アジアに到達し、東アジア人と東南アジア人に分岐しました。これまでその形質から縄文人は、東南アジアからやってきたと考えられてきました。北方からやってきたという説もあります。ところがDNA分析では東アジア人と東南アジア人に分岐するより古い時代に日本にやってきたらしいとわかりました。(図参照)古い時代にユーラシアのどこからきたのも、はっきりしません。長い年月をかけて混血し、いろいろな経路をたどって移動しているので、分析はとても難しいのです。

縄文人のルーツ

 

▼具体的には、どのようにDNAを分析されたのですか?

「核DNA解析」という方法です。ひとつのDNAから一個しかとれないので、難しい技術ですが、今までの「ミトコンドリアDNA解析」よりも、はるかに多くの情報がとれるものです。
寒冷な地域の保存のよい福島県の三貫地貝塚から100体以上の人骨が出土していたので、その成人男女の2体の歯根部を使いました。97%がバクテリアの遺伝子でわずか3%の縄文人の遺伝子から分析するのでとても難しい技術です。当時(2014年)私の研究室に総合研究大学院大学の学生として所属していた神澤秀明博士(現在は国立科学博物館人類研究部研究員)が分析しました。
渡来系弥生人はまだ分析されていないのですが、現代にも遺伝子が引き継がれていると仮定して、中国人や韓国人を渡来人の母集団の子孫とみたてて研究しました。

 

▼その分析の結果は、日本人の形成にどのような可能性をもたらすのでしょうか?

私が提唱しているのは、公開シンポジウムなどでも発表しましたが、下図のような「日本列島人の三段階形成モデル」です。
日本列島人を大きくとらえると、北部、中央部、南部の三地域に大きく分かれています。北部にはアイヌ人、中央部にはヤマト人、南部にはオキナワ人がいます。
アイヌ人とオキナワ人は、ヤマト人と異なる共通性が残っていて、その部分では、現在の日本人は北部や南部の混血が進まなかった地域を除き、縄文人と弥生人の混血であるという「二重構造説」と同じです。

私のこのモデルが新しいのは、二重構造説でひとつに考えられていた新しい渡来民を第二段階と三段階にわけたところにあります。

図2

第一段階は約4万年前から約4000年前(旧石器時代と縄文時代の大部分)です。第一波の渡来民がユーラシアのいろいろな地域から様々な年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にやってきました。

第二段階は約4000年前から約3000年前(縄文時代末期)です。日本列島の中央部に第二の渡来民の波がきました。第二波の渡来民の子孫は、日本列島中央部の南側において、第一波渡来民の子孫と混血していったことを示します。一方、中央部の北側と北部および南部では第二波の影響は、ほとんどありません。

第三段階は、約3000年前から現在までです。本州の中央部に第三段階で水田稲作の技術をもたらした渡来人が列島に入っていって、日本列島の中央部(福岡県、瀬戸内海沿岸、近畿地方の中心部、東海地方、関東地方の中心部)に移動していったことを示します。この段階では人口が急速にふえていきました。中央部が二重になっているのは、日本海や太平洋の沿岸に第二段階の渡来人のDNAが残ったのではないかということを示しています。

前半の約3000年前~約1500年前(弥生時代と古墳時代)は北部と南部および東北地方では、第三波の影響はありませんでした。

後半の約1500年前から現在(飛鳥時代以降)になると、それまで中央部の北にいた人が北海道に移動していったり、中央部の南にいた人が沖縄に移住したりしました。北海道の北部にはオホーツク人が渡来するなど時代とともに混血が進みました。

人の移動は複雑で、時代とともにいろいろ混血していったと考えられますが、おおまかに私の説を表すとこのようになります。この三段階渡来モデルは、わたしたち研究グループが提案しているのですが、他の研究分野でもこれに似た説が提唱されています。

エルヴィン・ベルツはヤマト人を東アジア北部から渡来した長州型と東南アジアから渡来した薩摩型に分けました。三段階モデルにあてはめると、長州型が第三段階渡来民の子孫、薩摩型はもっぱら第二段階渡来民の子孫に対応するかもしれません。縄文人の遺伝子が受け継がれているのは、20%です。稲作をもたらした渡来系の人の移動の前にも大陸から渡ってきているということです。

人の移動は複雑でまた長い年月にわたっていますから、オホーツクから入ってきたり、いろいろな遺伝子が混ざっていくわけで、すべてこれで説明できるわけではありません。

言語に関していえば、第二段階が今の言語を伝えているのではないかと現在、思っています。出雲地方と東北地方の人々の間に遺伝的な共通性が存在する可能性もでてきました。出雲の方言と東北の方言が似ていることが以前から指摘されていますが、言語の伝わり方は、とても複雑なのでいろいろ調べていかなければわからないことも多いと思います。

 

▼出雲の国譲り神話が、文化的・遺伝的に少し異なる人々の間で起きた出来事である可能性についてはいかがですか?

記紀神話では、出雲地方の権力者が九州北部の権力者に国を譲り渡したと解釈される話がでてきます。荒神谷遺跡からおびただしい数の銅剣が発見されましたが、出雲地方の勢力と九州北部の勢力と交わしたなんらかの出来事を示唆しているのではないかと思えてなりません。

わたしたちの研究グループで東京いずもふるさと会と荒神谷博物館の協力を得て、出雲地方の遺伝子を調べました。出雲地方が大陸に近いにもかかわらず、関東の人のほうが、大陸の人たちの遺伝子に近いことがわかりました。先ほどの三段階のモデルでいうと、第二段階の渡来人が第三段階の渡来人に権力を譲り渡したのではないかという考え方です。確かなことはもう少し、研究を重ねていかなければわかりませんが、いろいろな可能性を考えて研究していくことは大事だと思います。

 

▼様々な分野の専門家の方々とプロジェクトを組み、3月に東京で開かれた公開シンポジウムのように一般の方々に情報を提供されていますが、どのようなお考えからなのでしょうか?

研究を進めていくにあたっては、いろいろな分野の方と協力しあわなければなりません。また遺伝子を研究するにあたり、いろいろな方に協力していただかなければならないことが多くあります。それぞれの分野のプロは同時に他の分野のアマチュアだったりするわけです。各分野の研究者同士、また研究者と一般の方たちの間に境界を設けず、協力しながら研究を進めていこうと思っています。これまでにも違う場所で一般公開のシンポジウムを開いたことがありますし、これからも開いていこうと思います。

 

▼これからDNA研究はどのように進んでいくのでしょうか?

縄文時代の人骨が東日本からいくつか発見されたので、そのDNAを使って、研究が進められていくといろいろなことが分かってくるでしょう。沖縄の石垣島から2万年前も前の旧石器時代の人骨も見つかり、現在研究が進められています。DNA分析は、縄文人の姿だけではなく、血液型や耳垢・肌の状態などその体質まで知ることができます。

今世紀に入ってすぐ、ゲノムが解読されて以来、この分野の研究は進みました。どんどんいろんなことが今後、わかってくると思います。私は文字に残っていない自然誌をふくめてヒストリーを考えていく方向で、これからもいろいろな方々と研究していきたいと思っています。

 

 

国立遺伝学研究所 斎藤成也教授

*写真は三島市にある国立遺伝学研究所と斎藤成也教授

【プロフィール】

1957年福井県生まれ。国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門教授。総合研究大学院大学遺伝学専攻教授、東京大学生物科学専攻教授を兼任。1979年東京大学理学部生物学科人類学課程卒。1986年テキサス大学ヒューストン校生物学医学大学院修了。主要著書に「歴誌主義宣言」(2016年 ウェッジ)、「日本列島人の歴史」(2015年 岩波ジュニア新書)、Introduction to Evolutionary Genomics (2014年 Springer)、「ダーウィン入門」(2011年 ちくま新書)他。

(2016.4.11 斎藤研究室でインタビュー/文・写真 大日向明子)

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